国際ビジネスコンサルタント講座開設のお知らせ
– 国際ビジネスコンサルタントの助言 Vol 55
今回世界を襲った新型コロナウイルスの影響で以前私たちが生活していた状況と今後の生活にかなり違いがでてきます。今回の疫病で判明したように、これまで当たり前に出勤していた会社が突然なくなってしまったり、解雇されてしまったり、いつそのような状況になるのかわからなくなってきました。いつそのようになってもよいように、なにか今から自分ひとりで楽しんでできる仕事を探しておく必要があります。弊社は、これまで中小企業さま、及び、個人の方々のさまざまな国際業務のお手伝いをして参りましたが、この経験を活かし、みなさまに国際業務を理解していただき、実践していただけるという講座を開催することになりました。この機会に国際業務というものを理解していただき、是非、国際業務を新しい副業として、または、新しい業務として取り組んでいただければと存じます。
もくじ
- 国際ビジネスコンサルタントとしてのこれまでの活動
- 国際ビジネスコンサルタント講座の受講対象者
- 国際ビジネスコンサルタント講座の期間
- 国際ビジネスコンサルタント講座の費用
- 国際ビジネスコンサルタント講座の内容
1. 国際ビジネスコンサルタントとしてこれまでの活動
失敗
21歳の時に初めてアメリカ向けに家具を輸出することができました。これは一
回きりの取引だったのですが、すぐに香港からおもちゃの電子音付きのラジカセを輸入し、日本で販売を始めました。1988年でした。発売当初は営業もうまく行き、当時一世風靡していた某貸しレコード会社の複数の店舗で販売していただくことになり、そのためお客さまの会員向け情報誌にもちゃんと商品説明を掲載していただき、準備が整っていた矢先に昭和天皇の様態がわるくなり各社自粛ムードになってしまい、当初予定していたすべての販促キャンペーンも中止となってしまいます。その後輸入した商品のほとんど(80%)は不良在庫となってしまいました。
反省
当時私にあったのは貿易家になりたいという理想だけでした。今回起こった事実を反省した結果、貿易という商売の基本のことを全く理解していないということでした。すぐに1990年1月より食品素材製造業者に途中入社し、海外部(当時)に配属されました。この会社でいろんなことを勉強してみようと考えての入社でした。
勉強
私が同社に入社した当時の海外部は4名でした。課長、課長代理と私より1カ月くらい前に入社した私の大学の先輩と私だけでした。海外部は自社で製造する製品の原料を海外(オランダ、オーストラリア、タイ、ポーランド、ベルギー、フランスなど)から輸入する業務が95%でした。あとの5%が私が入社する直前に開発された新素材の韓国と台湾への営業でした。これらは先輩方がすでに開発された分野で、私にはあまり興味がなかったものでした。
入社してさまざまな会社の方針をきいているとこの会社が開拓したい市場が欧米であり、自
社の新商品を欧米市場に販売してゆきたいということでした。そこで私が考えついたのは、欧米の大手食品メーカーのCEOに直接手紙を書き(そのときはメールはまだなかったです)、商品のパンフレットと少量のサンプルを片っ端から国際郵便で送付しました。紹介した商品が時代の流れにあっていたのだと思います。欧米の大手のCEOから直接手紙の返事があったり、FAXが来たりしだしました。
残念
よろこんでいたのは束の間でした。かなり努力して相手に興味を持ってもらったのも束の間。会社が始まって以来の初めてのヨーロッパへの出張は課長が、そして、アメリカへの出張は課長代理が行くことになりました。それを聞いたときには大変悔しい思いをしました。私が考えて手紙を書いて返事をもらったにも関わらず、私が出張に行けないという事実。私は、当時の課長代理が担当していた韓国担当になりました。
韓国
1990年3月から1991年は私にとって韓国イヤーでした。ひと月の3週間は韓国でした。特に最初の年の夏ごろから入社してきた韓国人の課長代理と一緒に当時の韓国のほとんどの食品メーカーと医薬メーカーには営業に行きました。商品も少しずつ販売できるようになりましたが、現時点で韓国に現地法人ができ、工場も保有するようになっています
ヨーロッパ
1991年後半からはやっとヨーロッパ担当になりました。アメリカでの新商品の反響がよく、ヨーロッパでも同じ展開を早くすべきとの会社の方針でやっと念願のヨーロッパ担当でした。但し、まだ一人で営業をさせてもらえるのではなく、退職オランダ外務省農業担当アタッシェと一緒のヨーロッパ営業でした。ほぼ毎月2-3週間、先にアムステルダムに行き、彼を迎えに行き、そこから営業旅行を開始しました。当時はイギリス、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、スウエーデン、スイスのみでの営業でした。
アメリカ
1995年からはヨーロッパに加えて、アメリカを担当しました。なにが起こったのかわかりませんが、欧米どちらも担当することになりました。きわめて重要な会議以外はやっとひとりで出張に行くことがやっとゆるされました。入社して既に5年が経っていました。日本の会社では当たり前なのかもしれませんが、あまり納得はいっていませんでした。当時は、やはり毎月3週間の欧米への出張、また、1週間日本にいる間も中国、マレーシア、インドネシア、フィリピン等への新規原材料開拓出張や、台湾への営業などにも行っていたので、ほとんど日本にいませんでした。当時はインターネットや電子メールが少しずつ普及してきたところですが、個人でもちあるくようなPCもなく、やりとりは電話とFAXでした。
海外部といって自分で受注を取れば自分で輸出をするというのはあたりまえだったので、アメリカで日中は営業をして、ホテルに戻ってから日本とやりとりしながら輸出をするという非効率なことをしていました。結局、この忙しさを疑問に感じ同社を退職しました
香港・中国
2000年に香港に来ました。ヘッドハンティング会社から紹介をうけた日本のファッション関係の香港現地法人開設、及び、中国深圳にての工場建設というプロジェクトを任せていただくことになりました。全てが初めてのことで、また、これまでの欧米のビジネスとは全く異なる環境での働き甲斐のある仕事でした。2001年には部品製造工場が稼働し、また、M&Aにてメッキ工場を深圳の別の場所に購入することになりました。2002年には全ての設立計画が完成し、全500人を有するまでになりました
この会社の楽しいところは製造した商品を日本に輸出するだけではなく、日本から輸入した商品を中国内で販売をしだしたことです。このため中国で商品を販売するに必要なさまざまなことを実地で理解することができました。
撤退と設立
12年間続いた自分で設立した会社も中国の人件費の高騰により工場閉鎖と撤退をすることになりました。自分で設立した会社を自分の手で処分できたのもよい経験になりました。会社の撤退は少し前からこのようになるということがわかっていたので、次になにをすべきかということを念頭に置き、行動をしていたため、会社の撤退と同時に、自分自身で香港で起業するに至りました。香港での業務は、これまでの業務経験を全て活かすことができる国際ビジネスコンサルタント業務とすることになりました
現在
弊社の顧客は、日本、韓国、台湾、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパと中国です。日本の顧客がやはり一番多く、全体の40%となっています。主な業務は中国やアジアでの顧客オリジナル商品の製造のお手伝いです。場合によりお客さまの海外部で行なうべき業務全てを受託するようなシステムも取っていますが、出張、会議や展示会のアテンド、発注先工場の開拓・調査、国際業務のあらゆる場面でお手伝いをしています
昨年2019年度は、年間工場訪問回数は144回となりました。弊社は、現場至上主義を取っています。弊社顧客に必ず発注する工場をご自分の目で見ていただきたい、また、発注先工場といろいろな話をしていただきたい、発注先工場は顧客のチームのメンバーのひとつです。弊社の考えでは、会ったこともない会社に発注することなどありえません。
講座を通じてみなさまへのお手伝い
国際ビジネスに興味を持っていただける方々へのお手伝いだと思っています。国際ビジネスコンサルタントと言ってもさまざまな分野や仕事があります。このようなことを次回はお伝えしたいと考えています
TatsumiさんのPodcastの番組 IchibanTalkに出演いたしました。その模様はこちら
https://youtu.be/4FZCzSMwgfQ
ご質問等ございましたら、弊社ウエブサイトよりご連絡ください https://exq-int.com